元旦那と離婚した時の話。

以下全て元が付きますが、省略します。

叩かれるのは覚悟していますが、私は若くして七つ上の旦那とデキ婚しました。

旦那は子どもが欲しいと言っていましたが、今はまだ早い、もっとゆっくり将来のことを考えていこうと話していました。

が、旦那はできてしまえば反対しないだろうと考え、半ば強引に妊娠。

今思えば選択肢はたくさんあったはずなのに、何故か当時は結婚するしかないと思い込んでいて、そのまま旦那に流されるままに入籍。

深く考えず余りにも浅はかでまだ自分が子どもでした。

ただ、自分のお腹に子どもがいる以上、しっかり産んで育ててあげたい、母親として子どもに恥ずかしいと思われるような親にはなってはいけないと心に誓いました。

しかし、いざ結婚してみればあれだけ子どもが欲しいと言っていたにも関わらず、出産ギリギリまで職場まで車で30分の距離を送迎させる(繁忙期だったため帰りは深夜1時)、

トメに挨拶に行った時は「まだ手術できるんじゃない?どうしても結婚しなきゃいけないの?」と言われ、旦那は見て見ぬふり・・・

一人暮らしをしていた時の旦那の部屋はとても綺麗で、男の人なのにすごいなーと思っていたら、実はトメとコトメが私と旦那のいない間に掃除と洗濯をしていただけでした。

家事はもちろん手伝わず、つわりがひどくてもお腹が大きくても無視。

切迫早産で絶対安静と言われて実家に帰った時も無視。

産後も結局変わらず無視。

週に一度の休日はどちらかの親に子を預けて二人で遊びに行こうと言う。

一体あの「子どもが欲しい」と繰り返し家族への夢を語っていた彼はどこに行ったのかと思う程全く子どもを見ようとはしませんでした。

それでもなんとか子どもの為と我慢していましたか、余りにも深夜の帰宅が続く上、自宅に借金の督促が届いたり給与明細の給与額と聞いていた額が10万以上違う等、我慢と疑いで気付いた時には心療内科でうつと診断されました。

この頃の記憶はなんとなくぼんやりしていて、常に誰か他の人を見ているような感覚でした。

幸い実家が受け入れてくれたので子どもを連れて別居。

旦那は追い掛けても来ませんでしたが、「家事だけはたまにしに来いよ」と仰っていただきましたw


それから実家で生活しつつ、母子で暮らしていけるように資格を取るために猛勉強しました。

子どもの日々の成長を家族で喜びながら、なぜ旦那にはこの可愛さが分からないのだろうと悲しく思ったのは覚えています。

離婚のために友人から紹介してもらった弁護士に依頼し、旦那宛に内容証明を送るも全く受け取ってもらえず無視。

もう調停おこしましょうか、と弁護士さんと相談していました。

そんな矢先、ある寒い真冬の日、夜中に目が覚め息子の手を握ると冷たくなっていました。

慌てて飛び起きて抱き上げるととても冷たく、顔も真っ白で、全身が硬直していました。

そこからはよく思い出せませんが、後々聞いた話によると、私の叫び声に驚いた家族が飛び起き、慌てて救急車を呼んでくれましたが明らかにもう心臓が止まっていて、病院についてすぐに医者からもう無理であることを伝えられたそうです。

そのまま通夜、葬式、火葬場と写真のように切り取られた場面でしか思い出せませんが、旦那には「子どもが亡くなったというのに普通にしていて、お前の嫁はおかしい。」と家族や職場の方から言われた、と言われました。

周りの方からはこれからは夫婦二人で支え合って・・・と言われましたが、火葬場やその後の話し合いでのトメの態度や、祖父と旦那の喧嘩等色々あり、そのまま別居を続けて半年後に離婚に至りました。

結局息子は旦那家のお墓に入り、これから先もずっと向こうの家と法事等で付き合いが続きます。

協力して一緒に育ててくれた家族に申し訳なく、毎年お盆前になると心の中が修羅場です。