私の最大の修羅場。

当時私は短大を卒業して幼稚園に就職した。

周辺の幼稚園や保育園に比べると少しだけ給料が高く、内定が決まったときは親も喜んだ。

同期は四人おり、(新卒を四人も採るのは珍しい)同じ一年目の仲間がいることで気楽にいけると思っていた。

その幼稚園の職員の年齢層は非常に不思議だった。

私達一年目(20題代前半)、28歳の先輩を区切りに、その上は50代の職員ばかり。

30代40代が一人もいなかった。

そのせいか、若い世代と年配の世代にくっきりとグループが別れてしまった。

年配組は毎日私達若い組の悪口を言っていた。

聞こえてるし、子どもたちも察してるし最悪だった。

私は年少組の担任をしていたが、同じ年少組の主任が一番怖かった。

慣れない一年目を指導する感じでは無く、怒鳴り散らしながら何から何まで指摘してきた。

また、定時は17時だったが日付をまたいでも帰れないのは当たり前、一年目は朝6時半出勤が暗黙の了解となっていた。

残業や朝早く出勤するのは幼稚園では当たり前と聞いていたので、なんとか我慢し、罵詈雑言も耐えて半年が過ぎた。

この頃には私の体重が51キロから42キロに減少、同期三人もやつれていた。

日付をまたいで帰宅すれば、20代の大人が情けないと思われるかもしれないが、わんわん泣いていた。

夜が明ければまた出勤、陰口罵詈雑言の嵐、モンペの相手。

行きたくない行きたくないと涙が止まらなかった。

ある日、同期の一人が無断欠席。

とうとう壊れてしまった。

私はあんなに子ども好きだったのに愛情の欠片も残っていなくて、ひたすら年配組の脅威に怯えていた。

結局、私は10月という中途半端な時期に退職した。

他の同期もそのあとに退職したらしい。

退職後、私は

「どいつもこいつも私の悪口を言っている。全部私が悪いんだ」

と思い込むようになり、ジサツ未遂をした。

母は仕事を途中で抜け出し泣いてとんできた。

このときが最大の修羅場。

しばらくして私は別の幼稚園に復帰した。

そこは本当に天国だった。

残業や一年目がこき使われるのは同じだが、先輩が優しく大事なところで叱ってくれる人ばかりだったから苦にはならず、もう10年勤めている。

このたび寿退社する。


これは後から知ったことだが、新卒を四人も採ったのは、前年に四人退職したから。

上記の28歳の職員の仲の良かった職員達だった。

この四人は、年配組からのいびりが苦で退職している。

園長に何度も訴えたが改善されなかったらしい。

四人が退職するとき、28歳職員も退職する予定だったが、私達新卒四人を守る壁がいなかった為、残留したらしい。

力が及ばず申し訳ないと泣いていた。

でもこの人がいてくれたおかげで10月まで働けたんだ。

感謝しきれないよ。

これが私の最大の修羅場です。

あ、書き忘れた。

日付けをまたいでも帰れないなというのは、年配組が帰る前に若い組が帰ってはならないという暗黙の了解のルールがあった。

そんなのは気にしてはいなかったが、この年配組は仕事が終わると飴に群がる蟻のように集まり出して、延々とお喋り。

ずーっと某芸能人グループの話をしていた。

気がつくと日付をまたいでたよ。

いま思えば園長以外に既婚者がいなかった。