私の亡き父親が猛毒親だった。

それについていた母も父より幾分かマイルドだが毒親だった。

父は仕事で障害者になり、生活保護を受給しながら私は子供時代を過ごした。

四人兄妹の末に生まれた私。

小さい頃は何にも解ってなかった。

大人になるにつれ、親の素行の悪さが目につく。

兄貴達が学校卒業して就職すると、家に給料の半額ずつ入れさせた。

その頃には父の障害がだいぶ改善され働けるようになってた。

長男は工業高校卒業後就職。

次男は定時制高校に行きながらコツコツ働く。

三男は中卒で大工。

私が厨房の頃はこんなだった。

兄貴達から色々聞いたら、長男・次男の名義を借りて街金から金を借りてた。

母はアホみたいにリボ払いで買い物をしてはローンを返す毎日。

父は仕事で工具がいるからと湯水のように金を使って工具を買い漁る。

次男が私に

「オカンから名義貸せって言われても絶対に貸すな。この地獄は俺らだけで充分。」

と言った。

当時の親父や兄貴達の給料は合算しても結構な額だった。

親父は月30~60万

長男は約25万

次男は約20万

三男は約18万

兄貴達のを半額ずつ貰っても充分生活やっていけて、貯蓄する位の金があった筈だったのに、うちには借金しかなかった。

理由は両親ともパチンカスに成り下がったからだ。

次男は大人しい性格だった。

故に毎日のように父から言葉の暴力を受けていた。

「お前の髪型が気に食わん。坊主にしろ。」

「いっつもぼーっとして、人の話聞いてんのか」

「お前は出来損ないの愚図だ」

食事の席で毎回毎回そんな言葉を次男に浴びせていた。

次男は黙って耐えている。

一度、勇気を振り絞って父に注意をした。

「毎日クタクタになるまで仕事頑張って帰って来てるのに、ご飯くらい落ち着いて食べたいと思う。だから父さん、少し静かにしていてもらえませんか。」

と。

父は烈火の如く怒り出し、私に口撃の先をシフト。

口汚く

「女は黙って男の言う事をハイハイ聞いてればいい。」

「横から口を挟みやがってこのバカが」

「お前が庇うからこいつは成長せんのだ」

「見てみろ、こいつは人の話なんか聞いてない」

この時、生まれて初めて父に抵抗をした。

「父さんの言い分もあるだろうけど、毎回毎回ご飯の時間帯に言う事じゃないでしょ。ご飯終わって一息ついた時にでも言える事を何でご飯の時を狙って言うのか。折角出されたご馳走でも叱られて食べてたら味もしないし美味しく感じれない」

「それに、父さんの言ってる事はどれもイチャモンじゃないか。兄さんが何をしたと言うのか。髪型が気にくわないって、天然パーマなんだから仕方ないじゃない。ぼーっとしてるのは仕事で疲れて帰って来てるからでしょ。父さんだって疲れてぼーっとする事だってあるでしょ。自分は良くて他人は駄目だって、自己中すぎだよ!」

最後は声を荒げてしまったが、一気に捲し立てた。

父は顔を赤くしてワナワナとし、立ち上がって私に殴りかかろうとした。

私も殴られる覚悟があったので抵抗せずに

「殴るんやったら殴りや!正論言われて暴力に出るのは最低の人間のする事だわ!」

とあえて顔を差し出した。

父に「お前なんて生まれて来ない方が良かった!」

と言われた。

売り言葉に買い文句だと解っちゃいたけど流石に傷ついた。

「私かて、好きでこんな親の元に生まれてきた訳やないわ!」

と畳み掛けたら胸ぐら捕まれた。

間に母が入って

「もうやめて!」

と遮る。

次男は声を抑えて

「ごめん」

と泣いていた。

翌日、次男は仕事帰りに髪を丸坊主にしてきた。

私は中学卒業後、住み込みの仕事を探して家を出た。

実家には一切寄り付かず、連絡も絶った。

ある程度資金を貯めて職場の人に保証人になってもらってマンションを借りて次男を呼び寄せた。

次男はマンションに越してきて一緒に生活しながら自分を取り戻していった。

私の歳が20歳を迎えた辺りで、母がガンになったと長男から連絡が来た。

母を見たら意外と元気そうだったので

「生んでくれた事には感謝してます。」

とだけ伝えた。

親孝行を一つだけしよう。と、母と二人で母が見たがってた映画に行った。

二本あったので時間の調整をしつつ二本みた。

映画館から帰りに

「本当は父と離婚している」

と言う事を聞かされた。

離婚していても父は一人で生活やっていけないから仕方なく通い妻をやっているとも聞いた。

長い間毒の支配を受けていて、母も共依存みたいになってたんだと思う。

ガン発覚から三年後、転移が原因で母は還らぬ人になった。

朦朧とする意識の中で、母が最期に

「もう許すから。な、もう許すから。」

と私に言った。

私は知らない間に母が許し難い事をしていたのだろうか。と言うのも修羅場だった。

この意味は未だに不明。

母が故人になって、父からは本格的に姿を眩ました。

次男も

「もう大丈夫。」

とある意味独り立ち状態になり、私のマンションから去った。

母が亡くなって丁度8ヶ月後、父が脳の病気で倒れたと長男から連絡が来た。

私は病院にすら行かなかった。

その後、父に会ったのは父の通夜だった。


結果的に長男に全部おっかぶせる形で家から離れたが、長男は父からも母からも愛情を受けていたから、一生懸命お世話していたようだ。

父は長男の言う事には従う。

母も長男には何でも買い与えた。

次男から下は扱いが雑だったから。

毒の支配から離れ、私も結婚して子供が産まれた。

だが、子供をしつけたり育ててる過程で小さい頃から受けてた毒の教育が時々フラッシュバックしてくる。

子供にはあんな毒の教育を学ばせてはいけないと思いつつも無意識にやってしまってるんじゃないかと悩む時がある。

旦那には全部話して理解して貰ってる。

仮に毒の教育が出てきて理不尽な事や言葉を子供に投げ掛けてたら、遮ってでも注意して欲しいと旦那には言っている。

今の所出てきてないけど、絶対に

「お前なんて生まれて来ない方が良かった」

なんて言葉を吐く親にだけはなりたくない。

子供の人格を否定する親にだけはなりたくない。

だが、なりそうで怖いと自分に怯えるのが当面の修羅場。

子供には幸せになって貰いたい。

一連の事を旦那以外に喋れず、ずっと溜め込んで頭がおかしくなりそうだったので吐き出して気持ちを少しでも軽くしたかった。

だらだらとお目汚しな文章を書いて失礼しました。