20年経っても引きずってる、子供の頃の修羅場。

893からも爪弾きにされるようなクズの継父に無理やり水商売をさせられてた母親が、私の目の前で刺された。

理由は

『男とイチャイチャしてたから』

水商売だから当たり前じゃん・・・と、子供でもわかる因果なのに覚○剤とアル中で脳みそが海綿体になってた継父には青天の霹靂だったらしい。

昔取った杵柄というか、人を刺し慣れているらしい継父は肋骨の下から突き上げるように母を刺し、包丁を抜くと床に投げ捨てて呻く母を罵りながら、殴る蹴るの暴行を加えた。

私は身を挺して母を守り、継父を威嚇して追い出す事に成功。

「警察も救急車も呼ぶな」

という母に肩を貸して、徒歩で近くの病院に連れて行った。

なんとか一命は取り留めた母だったが、片肺が二分の一になってしまった。

入院費も無いので無理やり退院させられ、逃げる気力も無くした母はその後も水商売を続けた。

継父は日を追う毎に脳がグズグズになって、現実と妄想の区別がつかなくなったようで一年も経たず、また包丁を持ち出して母を刺そうとした。

幸い、刺される前に事に気づけた私は、母を守りたい一身で立ち塞がった。

さすがに子供は刺せなかったのか、火のついた煙草やライターを投げつけた後にどこかへ逃げた。

呆然としながら母と抱き合い、そのまま、店にあるお金と衣類を持って母と二人で夜逃げした。

とはいえ何も無いので、私は伯父の家(三重)に預けられ、母は祖母の家(宮崎)に身を寄せた。

夜逃げして二週間、継父は生活苦であっさりジサツ。

無縁仏として処理して貰った。

もう、逃げなくていいんだという開放感で、特に問題無く過ごしたと思う。

その後、母は迎えに来てくれたが、三日ほど一緒にいただけで新しい恋人の仕事に付き添うと言う理由で、母は一人で東京へ行ってしまった。

知らない土地で、私は一人ぼっちになった。

ある日、風邪を引いて4日熱が下がらず、助けを求める為に母に電話しようとしたら、電話が止まっていた。

這うように電話ボックスへ行き、母の携帯に電話をしても

「ごめんね。帰れない」

ばかり。

あまりにも酷い仕打ちに泣きながら暴言を吐いたら、母は悲しげな声で

「子供とは一生一緒にいる訳じゃない。私には私の人生がある」

と言われ、一方的に電話を切られた。

それから先は覚えてない。

ノイローゼになったのは確かだけど。

結局、私は誰の為に母を守ったんだろうか。

あの人は、あの時、死んどくべきだったのか。

未だに色々考えては、答えも出せずに、発狂するのを堪えてる。