そもそものきっかけは昔だけど、未だにモヤモヤが残っている修羅場

小2の頃、夜中に次弟(当時5歳)に起こされて目が覚めた

いわく「末弟(当時2歳)が泣いている。母を探したががいない」とのこと

(当時我が家は私だけが自室で寝て、母と弟たちは一緒に寝ていた)

弟たちの寝室に行ってみたが確かにいない、そして末弟は泣いている

当時母は携帯なんて持ってなかった

私も次弟も母に捨てられたんじゃないかとすごく不安だったけど、その時は必死に末弟をあやしていた


結局母が帰ってきたのはそれから2時間以上経ってから

3時か4時くらいだったと思う

弟たちは疲れて寝てしまったけど、私は全く眠れなかった

どういうことかと母に問い詰めたら、夜中に仕事に出ていたということだった(といってもいわゆるお水じゃなく、弁当屋の仕込み)

私はそりゃぁもう母を責めた

すごく不安だったこと、さびしかったこと

泣いて泣いてうったえた

母は「ごめんね」と謝ってくれたけれど、結局その後1年くらいその生活は続いた

幸いにも弟たちは「お母さんはお仕事をしている」と知ったらきちんと理解し、末弟の夜泣きもその日限りだった

1年後には母は昼間の仕事に就き、弟たちは保育園に入った


それから少し経って、私が中学生になる時に両親が離婚

母から「あの時夜働いていたのは生活費を稼ぐため」と説明された

なんでも、当時単身赴任だった父がほとんど生活費を入れなかったらしい

すごく反省したし母に申し訳なかった

私はその時母に「反省のしるしとして今後お小遣いは要らない」と言って、本当に高校卒業までお小遣いをもらわなかった

どうしても必要な時は「こういう理由でいくら必要」と伝えればくれたし、友達もいなかったから別にお金がなくても困らなかった

欲しいゲームがあった時は年に数回入る祖父母からの臨時収入を使い、自分の服はしまむらよりも安い服屋が近所にあったからそこのセールで買った

高校を卒業し就職してからも給料はほとんど家に入れて、私が自由に使えるお金は月2000円だった


…のだけど、父有責だと思っていた両親の離婚が実は母の不倫が原因だったと最近になって偶然知ってしまった

不倫相手とは父の単身赴任直後、具体的にはあの「弁当屋で働いていた」という時期から繋がっていたらしい

激務だった父に子ども3人を見ることはできないということになり親権は母へ

私たちの養育費は慰謝料と相殺ということになったらしい


弟たちはたぶんこのことを知らないと思う、少なくとも私は話していない

母はあの時仕事なんかせず不倫相手と会っていたんじゃないか、だとすると私は母のせいでいらぬ我慢をし続けていたんじゃないかと思うと心が修羅場