修学旅行から三ヶ月家に帰れなかった。

中3のとき、父親から虐待を受けてそれをクラス担任の先生に相談したのが修学旅行の前日だった。

修学旅行から地元の駅について解散するところで、わたしだけ列から外れるように指示され、そのまま連れていかれた市役所の一室に入ると児童相談所の職員がいた。

そこで何か説明をうけたが混乱していてあまり覚えていない。

説明を受けたあと、有無を言わさず車に乗せられて、保護所に入所されされた。


施設で2週間くらい過ごしたころ、夜中に同じ施設に入所していた当時高校生の男子(言い寄られていたがわたしは断っていた)に部屋に入られ、服を脱がされたりキスされそうになった。

施設の職員に助けられたが、その日から何故かわたしまで一週間部屋で謹慎になった。

虐待で保護されたのに保護された施設で襲われるとはこれいかに。


その事件があって施設を移ることになり、移った先では平和に過ごしたが、高校受験を控えた中学生が授業も受けられず、

教師と児相職員がわたしに事前に断りもなくいきなり施設に放り込んだくせに、成績にオール3がつけられたのが悔しくって泣きそうになりながら勉強しました。

移った施設で一ヶ月過ごし、その間に児相が、父親とわたしが別居すればわたしは家に帰れると条件を出しました。

両親はそれに応じ、父親がアパートを借りてそこに住む、と決まったのでとうとう家に帰れる!と喜んだのですが…

両親は児相を騙して、わたしをアパートに追い出すことに決めていたんです。

自宅にあった荷物は既にアパートに移動されていました。

納得できませんでしたが、ここでそれをわたしが児相に言えばまた施設に戻されると思って従うしかありませんでした。

それから父親と家族は家に、わたしはアパートでほぼ一人暮らしで、時々来る児相の訪問の時だけ入れ替わりました。


そんなことをして一ヶ月、母親からもうアパート代が出せないからという理由で父親との別居解消を説得され、嫌でしたがわたしも家にお金がないことはわかってたので仕方なく、わたしから児相を説得し、やっと家に帰りました。

同居してからも卒業するまでごたごたしていましたがわたしは無事第一志望の高校に合格。

最後に頼れるのは結局自分自身なんだと学んだ修羅場でした。