私が小3の時、父が交通事故に遭って入院。

小4に上る直前、母も激務で倒れたため、私と1歳年上の兄は、東北地方の親戚の家に預けられることになりました。

その町は本当に山の中にあって、今でもクマ撃ちの猟師がいるようなところ。

一番困ったのは言葉。

兄も私も、東京生まれの東京育ち。わからない言葉ばかり。

そんな中で、気が小さい私はイジメられるようになりました。


きっかけは些細なことでした。

なにか方言で話しかけられた時、意味がわからなくて「え?」と何度か聞き直したのが生意気だ、と。

「田舎者だとほいどさ(バカに)してる」と……

東京の方が勉強も進んでいて、テストの成績も良かったのが面白くなかったんでしょうね。

私は足も遅く運動神経もあまり良い方ではなかったので、ドッジボールで標的にされたり、こちらの方ではほとんど売ってなかったサンリオなどのファンシーグッズを隠されたり、シャープペンを壊されたり、ランドセルの中に虫やトカゲの死体を入れられたり……


ある日、小学校に行こうとして親戚の家を出て、10分ほど歩いたところで、泣いて兄に訴えました。

「もう、学校に行きたくない。イジメられてる。東京に帰りたい」と。

兄は、私だけを親戚の家に帰すと、職員室に一人で乗り込んで「うちの妹がイジメられています。どうにかしてください」と訴え出てくれました。

すると、私の担任は「うちのクラスにイジメはない。妹さんが溶けこまないのが悪い」と。

そして、兄に向かって「子供のくせに、大人に意見するなんて、本当に東京の子は生意気だ」と。

で、その日から、教師公認のような形で、兄へのイジメが始まったのですが……


うちの兄、凄いヤンチャというか暴れん坊というか、喧嘩大好き少年だったんです。

小学3年生の時に、小学6年生をぶっとばしちゃったり。

同級生をいじめる不良中学生にも向かっていって、ボロボロになりながらも負けを認めないような。

私は、登校拒否状態になり、昼間は親戚の家の手伝いをして、兄が帰ってくると勉強を教えてもらい、ドリルや参考書を毎日こなしていたのですが、兄はほぼ毎日喧嘩三昧の日々。

まず、兄に喧嘩を売ったのは、最初は私のクラスメートの兄弟たち(小学5年生)たちだったそうです。

毎日、日替わりで誰かしら兄に喧嘩を売ってくる。

しかし、喧嘩慣れしてる兄は毎回返り討ち。

次は、その兄である小学6年生たち。「東京モンが生意気な!」と、それも兄は返り討ち。

兄いわく「力はあるけど、東京の喧嘩のほうがレベルは上」だったそうで……

そして、喧嘩をするたび、兄は職員室に呼び出されて説教されるのですが、兄は「納得いかない説教は聞かない」といって、職員室の窓から逃げたり、教師のすきを見て逃げまくる。

そのうち、向こうは4-5人の集団でやってくるようになったのですが、兄は「タイマンも出来ないなんてダッセー! だからイナカモンなんだよ!」と挑発し、向こうがタイマンを承知すると、2連戦や3連戦をやって返り討ち。


私が登校拒否してる約1ヶ月の間に、兄は小学校の「喧嘩する気のある男子」ほとんどと喧嘩済み。その全てに勝利。

つまり、兄は「○○小学校の番長」というランクになり、私も番長の妹ということに。

(東京だったら番長なんて笑っちゃいますが、あの土地では番長と呼んでいました)

嫌がらせをしていた子たちは一気に優しくなって「ごめんね、ごめんね、お兄さんさ、言わねでけれ」と私をちやほやし始める。

私は気が小さいので、そういうのも居心地悪く、「普通にしてくれればいいから。あと、お兄ちゃんは年下をいじめたりはしないから、絶対に」

ただ、兄の方は喧嘩の日々が終わっておらず、夏前には中学生が出張ってきました。

その中学生を、兄は、親戚の家にあった竹の杖で殴って返り討ち。

(兄いわく、中学生が小学生に喧嘩を売るのはアンフェアだから、こっちも武器ありにした)

以来、兄に喧嘩を売る子は誰もいなくなり、わざわざ隣町の小学校の番長が喧嘩を売りに来ましたが、これまた兄が返り討ちして、兄は小学校の英雄的な立場に。

そうなると、男子たちはみんな、兄の子分のような状態になり、夏もみんなでワイワイと。


ちょうど1年間、兄と私はその地方にいて、父が退院し、母も体調が良くなったことから東京に変えることになりました。

その時、面白かったのは、兄に見送りがいっぱいいたことです。

多分、喧嘩相手であっただろう悪ガキっぽい子たちばかりが、おいおい泣きながら。

兄は悪ガキたちの前で偉そうにお説教。

「おまえら、イジメとかダッセーことするなよ。ダッセーから、イナカモンだって笑われるんだからな」

悪ガキたちは泣きながら

「うん。わがった。イジメさしねぇ。ダッセーことさ、しねぇがら。だべら、また、おざってけれ(来てくれ)」


兄も私も30代後半になりましたが、今も一年に一度はあの土地へ行って、同窓会のようなことをやってます。