夫と義妹の父親はパチンコ・競馬狂いで家業もまともにやらず、少しでも気に入らないことがあると暴力に訴える人で、夫も義妹は鼻や頬骨、腕を折られたことさえあったそうです

すぐには病院に連れて行ってもらえなかったらしく、2人ともよく見ると鼻筋が少し曲がっていました

母親の方は、そんな父親と父親第一主義の父親両親のいいなりで「あなたたちが逆らうからあの人が怒る、頼むから波風立てないで」が口癖だったそうです


そんな家で長男の夫は過干渉、義妹は放置されて育ちましたが、夫は家業を継ぐ条件で大学を出た直後に逃亡し、義妹を呼び寄せて大学に通わせました

成績優秀だった上、資金援助はいらないからとまで頼み込んだのに進学を許してもらえず、高校卒業と同時に見合い結婚をさせられそうになっていた義妹は、おかげで夢が叶ったと夫にとても感謝していました

私と夫が付き合うようになると「邪魔したくない」と夫との同居こそ解消しましたが、私たちの結婚、出産を心から祝ってくれて、2人の息子・娘も自分の子のように可愛がってくれました

自分もとても忙しい仕事に就いているのに、共働きの私たちをずいぶん助けてもくれました

夫の両親とは当然絶縁状態でしたし、私の両親は既に鬼籍に入っていましたから、義妹のサポートはとても心強いものでした


そんな時、夫が居眠り運転のトラックに追突され亡くなりました

まだ下の子は3歳で、あまりに突然のことに頭がついていかず、義妹と抱き合ってただただ泣くばかりでした

夫と私の職場の方々が助けてくださり何とか葬儀を終えたのですが、その直後、夫の両親が訪ねてきました

死亡事故ということで夫の名前が新聞などに載りましたから、それで所在が分かったのだと思います

私は初対面なので最初は誰なのか分からなかったのですが、義母に突然つかみかかられ「お前がたぶらかしたのか、お前が殺したのか」と罵声を浴びせられました

何が起こったのか分からず呆然としていると、今度は義父に跳び蹴りされ喪服と髪の毛を掴んで引きずられました

子ども達は火がついたように泣き叫び、私はとっさに子どもをトイレに入れて、その前に立ちはだかろうとしましたが、目をぎらつかせた義両親に「男の子をよこせ」「遺産と保険金を出せ」とめちゃくちゃに殴る蹴るされ

トイレのドアを無理やり開かれ息子の腕を掴まれて、もう駄目だと思った時、騒ぎに気付いた義妹が駆け付けてくれました

義妹は片手に置き時計(引き出物でとても重い)、片手に花瓶(玄関にあった)を持ち、義両親に向かって雄叫びを上げながら振り回しました

後で分かったことですが、その攻撃で義父は歯が3本と鼻が折れたそうです

「親不孝者」と罵られた義妹は「お姉ちゃん(義妹は私をこう呼んでいました)たちに手を出すなら殺す、必ず殺す」と怒鳴り返しました


そこに近所の方の通報で警察が駆け付け私たちは難を逃れました

私はまぶたと唇が切れろっ骨が折れていたのと、近所の方の証言で先に義両親が手を出していたこと、子どもを連れ去ろうとしていたことがはっきりしたので、幸い義妹の行為が問題になることはありませんでした

義両親の方も義父に前科がついたものの刑務所に入ることはなかったので、すぐに引っ越してしばらくは義妹と同居しました

子どもたちはすっかり怯えきってしばらくは夜泣きやおねしょが続きました


その後の義両親の動向が不安だったので義妹が知人のつてを使って調べたところ、夫の遺産や私の息子を取り返す(?)と息巻いて訴訟を起こそうとするも、弁護士に相手にされず断念したようです

夫の祖父母が亡くなり家業がかなり傾いていたらしいです

その後、家業が完全に駄目になった際はまた押しかけてくるのではと警戒しましたが、結局義両親に会ったのはあの1度きりでした

あの時体を張って私たちを守ってくれた義妹の姿は忘れられません

義父に殴られて育った義妹がその前に立ちはだかるのはどれだけ勇気がいったことか

この春には下の娘が大学を卒業して義妹と同じ仕事に就くので、久しぶりに思い出して書いてみたらものすごい長さになってしまいました

おばさんの昔話に付き合わせてしまってごめんなさい