祖父の思い出。特にオチはない。

祖父は10代で結核に感染してしまい、感染したらシぬのが当たり前だった時代に万に一つの幸運で生き残ったものの、まともな体に戻るのに20代の全てを費やした(本人談)。

そのため争い事の嫌いな優しい人だった。

祖母はそんな祖父にお見合いで一目ぼれし、他にもっと条件のいい縁談もあったのに

「あの肺病やみ(結核の患者のこと)がいいって、どうしても譲らなかったのよー」(祖母の妹談)

という、ラブラブカップル。

2人の子供は長女(伯母)、長男(父)、次女(叔母)、次男(叔父)の4人。

祖父は子供ができると「趣味は子供と遊ぶこと」と公言するようになった。

毎日会社からぶっ飛んで帰宅し、夏ならまだ外は明るいので夕食まで隠れんぼや鬼ごっこ、

夕食の後はトランプや流行り始めていたボードゲーム、折り紙に切り紙、純粋にゲームとしての花札や麻雀、碁に将棋(主に五目並べや将棋くずし)、

当時そんな言葉はなかったが知育遊び、例えば「いつ・どこで・誰が・何をした」という4枚のカードを配ってそれぞれに書き込み、後で合わせてみるとか、5分の間に木へんのつく漢字をいくつかけるかとか、ともかく怒涛のように遊び倒した。

しかしながら、子供が小さいうちはそれで楽しいんだけど、小学校高学年くらいになると宿題の量も増えて、家で勉強しなければならなくなる。

年上の伯母や父が「今日は宿題あるから」と遊びを適当なところで切り上げようとすると、

祖父に「じゃ、あと『七並べ』を一回だけ」「『手つなぎ鬼』を一回だけ」と懇願される。


そして悲劇wwwは訪れる。

ある夜、台所の後片付けをしていた祖母のところに、末っ子の叔父、小学校3年が泣きながらやってきた。

どうしたのと訊くと、叔父は「お父さん(祖父)が勉強させてくれないの。僕、勉強したいのに、お父さんが遊んでからじゃないとダメって」

そのころ、上の3人は勉強や部活が忙しく祖父とあまり遊べなくなったせいで、祖父の「遊んで攻撃」は叔父に集中していたのだった。

祖母は祖父に「子供に、あんまり遊んで遊んで言わないの!もう子供達も大きいんだから!」と説教する羽目になった。祖父しょぼん。

ちなみに叔父は幼い頃から勉強好きで出来がよく、高校までずっと成績トップで現在は有名大学の教授。

子供達がそれぞれ結婚を考える年ごろになり、相手を家に連れてくると、その度に「歓迎ハンカチ落とし大会」とか「歓迎缶けり大会」とかが開催され、それに耐えられるというか受け入れてくれる人でないと結婚できない。

まあ4人全員の配偶者(母を含む)が、「叔母夫は結婚の挨拶に来たくせに麻雀で満貫を上がった」「叔父の置いた缶を伯父嫁が蹴った」とかの猛者であったわけだが。

当然、孫達はこの中で育つわけで、正月に集まった時など10人を越える人数で、大人も子供も入り乱れて手加減なしの「凍り鬼」や「だるまさんがころんだ」で3が日が過ぎる。


今はもう、祖父も祖母もいない。

先日の法事で、いとこ達と「このごろ、缶けりってやらないねえ」と話したので思い出して書き込み。