二十年近く前の話ですが失礼します。

母子家庭だったのだけど、母の姉に対する虐待が問題になって、姉が中二、私が小六のときに姉だけ遠縁の親戚に引き取られた。

姉とはほとんど話したことなかったから、無表情で無口な能面みたいな人というイメージしかない。

でも私は母に可愛がられていて、引っ越したりすることもなかったから、そのまま姉が通っていた中学校に新一年生として入学することになった。

式はつつがなく終わり、空き時間に教室で出身小が同じの友達と話したり、他小学校の子とぎこちなく会話したりしていた。

すると十人以上の見知らぬ男女の先輩達がわらわらと教室に入ってきた。上履きは三年生の色だった。

ピカピカの一年生のクラスだから、空気が一瞬にして凍りついた。

そして、強面の男の先輩がドスのきいた声で放った第一声。

「○山△子の妹って誰? このクラスにいるはずなんだけど」

それは姉の名前だった。気が小さかった私はもう本当にギョッとして硬直した。

姉が何をしでかしたのだろうか、私は何をされるのだろうか、と恐怖が頭の中をぐるぐる駆け巡り、できれば知らぬふりをしたかった。

でも私の名札にはばっちり「○山」と書いてあるし、そこそこ珍しい苗字だったので他人のふりもできず、結局バレた。

そのときの心中が修羅場だった。


しかし予想に反して、私を見つけた瞬間先輩達がパァッと笑顔になった。

「わぁ! △ちゃんに似てない!ww △ちゃん、いっつも妹ちゃんのこと可愛いって自慢してたよ!」

「△子は妹のことよろしくって言って転校して行ったんだよ!」

「△はすごい成績良くて、面白くて、部活でも賞状取りまくってて賞状泥棒って言われてたんだよ!」

「なんかあったら俺に言えよ!△子の代わりに守ってやるよ!ww」

人違いでは?と言いたくなるくらい、先輩達は私の全く知らない姉を楽しそうに語っていた。

私が知っている姉は無口で、全く笑わない、母にどんなに殴られても暴言を吐かれても無表情な、少し気味が悪い姉だったのに、

先輩達が話す姉は、明朗快活で、勉強もできて、才能に溢れ、沢山の友達に好かれている魅力的な人だった。

姉のことを話しながら泣いている女の先輩もいて、「本当に△子は良い子で大好きだったんだよ~」と言われた。

私の頭の中は大量のハテナマークが飛び交った。私の姉って、何だったんだ?と。


それからの一年間は三年生の先輩に出会うたびに「あ!△子の妹ちゃんだ!」と声を掛けられ可愛がられた。

先生方の間でも姉は優秀なことで有名だったらしく、よく姉の思い出話をされた。

同級生達からは、先輩や先生達に太いパイプがある、敵に回しちゃいけないヤツみたいなイメージを持たれて一目置かれたww

ある日、特に姉と仲が良かったらしい美術の先生が美術準備室に貼ってある姉の絵を見せてくれたんだけど、朝日が昇る水平線めがけて沢山のウミネコが飛んでいく絵で、見とれるくらい綺麗だった。

そして先生に「あなたにこんなこと言っちゃいけないと思うけど、あなたのお姉さんは生まれるところを間違えたんだと思う。

あなたのお姉さんくらい素敵な子はなかなかいなかった。あの子には本当に幸せになってほしい」と言われて、複雑な気持ちになったのを今でもはっきり覚えている。


--後日投稿--

両親は私が小さい頃に離婚したのですが、離婚した父や父の母(母からみると姑)に姉がそっくりだったのが憎らしかったらしいです。

私は父のことをほとんど覚えていないのでよく分からないのですが、顔や仕草などがゾッとするほど似ているそうで、

毎日姉に「お前には汚らしい●川家(父の姓)が流れている穢らわしい人間だ」とか言ってたのを覚えています。

私にもその血は流れているわけですが、私は母に瓜二つだったのでセーフだったみたいです。

よく姉を留守番にして母と二人で旅行したりして、姉を除けばすごく仲良しな親子だったと思います。

でも母に「妹ちゃんとお母さんが二人家族だったら幸せだったね。あいつなんか産むんじゃなかった」と言われ、返答に困った思い出はあります。

無感情な姉が奇妙で怖いという気持ちはありましたが、そこまで嫌う理由も私にはなかったので。

しかし母にそこまで言われている姉なのだから、当然学校でも嫌われ者なんだろうなというイメージがあったので、中学校での姉の好かれ具合が私にとっては物凄くちぐはぐで、かなり後々まで人違いではなかろうかと不思議で仕方がありませんでした。