派手さはない

地味だけどじわじわ来ている(現在進行形)修羅場

父親もまともじゃないかもしれないかもしれないと脳内で修羅場

私の母親は幼稚で気に入らないことがあると癇癪起こしてわめき散らす人。

どのくらいやばいかというと、出かけ先で癇癪起こして警備員呼ばれるくらいやばい

癇癪を起こす理由も遊園地で思った以上にならばされたとかそんなん

そんな母親だからか子供の頃は恐怖の対象でしかなかった。

でも怖がっているとなんで怖がってんのよ私のせいなの!キーって怒るから、幼稚園時代から必死で母親の前では楽しい振りをしていた事を覚えている。

でもやっぱり地雷を踏んでしまう時があって、そんな時は姉と一緒に早く嵐が過ぎるようにこれ以上痛い思いをしないようにただただひたすら怯えていた

そして父親が早く帰ってきますようにとずっと願っていた


母親と対照的に父親は優しい人だった。

声を荒げることを今まで一度も見たことがないし暴力を振るわれたことももちろんない。

母親におこられた後、慰めてくれるのは父親だった。

父親は常識人。母親はおかしい。これまでの人生の大半はずっとそう思っていた

この間の一言があるまでは


数か月、数年ぶりに母親の地雷のど真ん中を踏んでしまった。

数年ぶりの母親の怒りはすごかった。

私の部屋の鍵をぶち壊し、部屋のありとあらゆるものを壊した。本棚倒されて窓は縁がゆがんで元に戻せなくなった。

私は髪をつかまれてひきづられ殴られ踏まれた。

命の危険を感じたので素足で幼馴染の家まで逃げた。

後ろから母親が追いかけてきそうで泣く余裕もなく逃げた

幼馴染の家について気づいたけど足から血が出ていた。

たぶん割れた花瓶を踏んづけた時に傷つけたのかもしれない

でも全然気が付かなかった。

痛みより母親への恐怖の方が勝っていた

そんなことがあり私は家から逃げて一人暮らしをすることになった

実家には戻れないので父親に最低限のものだけ運んできてもらった。

さらに父親に部屋を借りる保証人にもなってもらった。

連絡は父親だけと取った。

この数か月は驚くほど平和だった。

一人ってこんなに気楽なんだと思った。

たまに父親が会いに来た。その時ぽろっと「まぁあの時お母さんが怒った『だけ』だからね」とにこにこしながら言った。

あの逃げた日、幼馴染のご家族が私の姿を見てすぐに病院にいこう、警察に連絡しようなどと言ってくれたほどなのに、父親にとっては「ちょっと母親が怒っただけ」らしい

子供の頃、投げたセロハンテープの台が足の指にあたって爪がはじけたことも、熱したフライパン投げられたことも、ベランダから落とされたことも(幸いベランダは1.5階くらいの高さにあった)

父親にとってはそこまでのことではないらしい

確かに私たち姉妹を慰めるけど母親に直接止めようとはしてなかったなあ、あの母親の夫なだけあってこの人もやばいのかもしれないと現在進行形で脳内修羅場