東北の大震災のとき、会社の対策室に24時間待機命令が出て、私だけが唯一の女性としてその中にいた

食事で備蓄のカップ麺を出したら、50代半ば以上の男性のほとんどが作れなくて戸惑ってて驚いたよ

「これは先にお湯を入れて、ツユは油が固まっているからフタにのせて温めて・・・」ってやったら全員おお~って感動してて笑ったw

そこにいた人のほとんどが、東大とか東工大とかの理系の高学歴なのにw

フタに説明が書いてあるよと言っても「老眼で見えないんだよ~」とか文句たれてたw

最初のうちはしかたないと諦め、女性が私一人しかいないからと全員の食事を用意してやった

そしたら数日で家政婦か嫁かみたいな扱いをされた始めたので、うるせージジー自分でやれをオブラートに包んで言い返してた

実際、対策室に招集されたのはおっさんの面倒を見るためじゃなくて仕事をするためだし暇じゃないっての

細かいところまで手が回らないし、会社の備品ってやけに大きくて扱いづらかったので「課長~これ重くて~助けて~!わーすごーい男の人って感じー」とかアホの子みたいにやってたら、そのうちおっさんたちが自分で色々やるようになって笑ったw


5日目に米が他県の事業所から届いて、ガスが生きてたからおにぎりを作ろうって話になった

食堂には人手が足りてないから、食堂で炊いた米を届けるからそっちで握れって言われて大量の米が届いた

おっさんたちは当然私が握るものだと思って誰も動かないので、わざとちんまいおにぎりを作ってやった

こんな小さいの食べられるかよ!手の大きな俺たちが握るぜ!みたいな展開を期待してたのに「娘が握ってくれたらこんなのかな」「娘は元気かな・・・」「生きてるといいな・・・」みたいな雰囲気になってしまって、湿っぽくなってしまった

私も親と連絡が取れてなかったので、そこで初めて我慢の限界が来て、泣きながらおにぎりを握ってた

途中からおっさんたちも腹が減ったらしくて見よう見真似で手伝ってくれたけど、「嫁のおにぎりは本当に不細工で。でもうまかったよなぁ」って話が出てきてまた泣いた

10日くらいした頃には、ほとんど全員がおにぎり作ったり掃除ができるようになった

その頃からぽつぽつと家族の安否がわかるようになった

私の父は亡くなっていて、あんなクソ親父でも死ぬと悲しいもんだとぼんやり思ってたら、一番偉いおっさんが恐る恐るって感じで隣に座ってきて、「これ、取っておきだから」って、どこから持ってきたのかしらんけど、ちょっとつぶれたこんにゃくゼリーくれたw

泣きながら食べたらのどに詰まってむせて、おっさんがめちゃくちゃ焦ってたw


それからずいぶんたったけど、こんにゃくゼリーのおっさんの息子とご縁があって結婚することになった

自慢の父ちゃんって言うけどなー、おまえの父ちゃん東大出てるくせにカップ麺作れないし、クイックルも使えなかったんだぞ

息子の安否が知れないって無人の会議室でひっそり泣いてたんだぞ

会議テーブルにあった台拭きで涙拭おうとしたから、隠れて見てるつもりだったけど出て行って止めたんだ

清潔な布がないからキムワイプ出したら笑われたんだぞ

あんだけ泣かせたんだから、これからは楽隠居させて夫婦2人で大事にしてやるぞー