ポケモン20周年なので、約20年前の修羅場。

うちの親は、自分がゲーマーの癖に私には活字の本以外の娯楽を与えようとしなかった。

当時ポケモン全盛期で、ゲームが無い子もアニメは見ていて当たり前。

私は一人だけ話題についていけないし、小学校入学と同時に引っ越したので昔からの友達も絶たれているしで寂しいことこの上なし。

うちの親の持論は「ゲームが無いならそれ以外で遊んでくれる友達を作ればいい。本当の友達ならゲームなんか無くても一緒に遊ぶものだ。即ち、ゲームが無くて遊べない人間は友達ではない」というもの。

言いたいことは解らないではないが、ゲームはもちろん、バラエティ番組すら見られない私ではそもそも友達になるキッカケや、共通の話題すら無かった。

休みになると遊びに行けと家を出され、仕方なく家の前で飼っていた犬と遊んでいると、無理矢理徒歩30分の公園に連れて行かれた。

子供は公園に集まるものだろう、と。

車で連れて行かれて、帰りは徒歩。

入り口に私を降ろすだけだったから知らなかったのかもしれないけれど、誰かの家に集まって遊ぶのが主流になっていたからか、その公園に同年代の子供がいたことは無かった。

滑り台もジャングルジムもブランコも砂場も親子連れのちいさな子が溢れているし、ベンチは芝生でゲートボールしているお年寄りの休憩場所になっているし、公園にも居場所は無かった。

公園から見える範囲は家と畑だけ。そもそも土地勘が無いので出歩くのも難しい。

大きな道路沿いなので自力で家に帰れることだけが救いだった。

子供にはそこそこ広く感じた公園をぶらぶら歩き、たまにゲートボールの仲間に入れてもらい、お年寄りにあやとりを教わったり、花の蜜を吸ったり、木の植わっている根本に腰を下ろして空を見上げたり、アリを追いかけたりする。

時間が有り余りすぎて休日は苦痛だった。


そして、夏休みがやってきた。

宿題を早々に片付けた後は連日公園に置き去りにされ、頭がどうにかなりそうだった。

8月の半ば頃、祖母が訪ねてきた。

その日だけは家にいる事を許され、私は朝からテンションが異様に高かったと思う。

「○ちゃん、お友達はできた?」祖母にそう問われるまでは。

私は答えに詰まった。正直友達は一人もいない。

でも、そう答えたらまた公園に連れて行かれる。毎日連れて行ってやってるのに!と詰られる。

なんとか誤魔化そうと一生懸命考えたこと、私の顔を見つめる祖母の笑顔が、潮が引くようにというのだろうか、すぅっと消えていったこと、何か話さなければと焦ったけど声が出なくて、口が勝手にパクパクと動いたこと、その瞬間だけは今でもフラッシュバックのように不意に思い出す。

祖母に抱きしめられて号泣している間に、大人たちが何か言っていた。

多分、毎日公園に連れて行ってるとかそんなことを。

後から知ったのだけど、私にあやとりやお手玉を教えてくれたお年寄りと祖母に、人を介した繋がりがあったそうだ。

置き去りにされる女の子がいて可哀想、という話が祖母に伝わり、私の引っ越した時期と地域、そして私の年齢と一致することから、他人事ではなかった祖母は、私を心配して訪ねてきたらしい。

私に会うまで置き去りの子と私を繋ぐ情報は無かったのに、胸騒ぎがしたそうだ。

いざ訪ねていってみれば、昔からインドア派で生白い子供だった筈の私が真っ黒焦げに日焼けしている。

そりゃそうだ、入学からこちら休みのたびに朝から公園に放置され、5次のチャイムが鳴ったら30分かけて歩いて帰る生活を続けていたし、少なくとも直近2週間は毎日公園だ。

友達がひとりもいないこと、ゲームもアニメも見ないからポケモンのことがわからなくて、誰とも話ができないこと、公園に行っても子供なんていないこと。

両親の怒号を祖母が遮ってくれて、私は全部吐き出すことができた。

私が寝てしまってから祖母が両親を問い詰め、こんこんと諭したそうだ。

☆何故子供のいない公。園に放置したのか?

知らなかった

☆何故自分ではするのに、○ちゃんにゲームやアニメを与えなかったのか?

子供には贅沢だから。

☆親の都合の引っ越しで友達を奪っておいて、○ちゃんはゲームやアニメについて無いと友達ができないと訴えたのに禁じたままなのはなぜか

「ゲームが無いならそれ以外で遊んでくれる友達を作ればいい。本当の友達ならゲームなんか無くても一緒に遊ぶものだ。即ち、ゲームが無くて遊べない人間は友達ではない」の持論を展開。

☆自分たちが子供の頃に、神社や公園といった遊び場、釣り竿や虫取り網など遊び道具一式を取り上げられ、知らない場所にひとりで放置されたらどうするのか?

…………

私の誕生日は8月の頭で、当時大嫌いだった生クリームてんこ盛りのケーキと、要りもしない人生ゲームを誕生日プレゼントとしてあてがわれたばかりだったが、祖母によりやり直しが決行された。

そもそも幼稚園まではケーキもプレゼントも希望を聞かれていたのに、この年はなぜか押し付けられた。

祖母はそれまで通りプレゼントを送ると言ってくれていたそうだが、何故か両親が固辞したらしい。

やり直しで買ってもらえたフルーツいっぱいの大きなタルトを抱えて泣いている私の写真は、今でも祖母の家の居間に、額に入れて保管されている。

無事ポケモンも買ってもらい、アニメはレンタルビデオ屋で1話から借り倒し、扇風機と氷の浮かんだお茶を飲みながら過ごした残りの夏休みは幸せそのものだった。

夏休みが明けて、ポケモンの進め方のわからないところを隣の席の子に聞いてみたとき、世界が開けたような気がした。周りの会話が解ることに安堵した。


何故、あの頃だけ両親揃ってそんな事をしたのかはわからない。

本人たちに聞いてみたこともあるが、それが正しいと思ったとしか返ってこないので諦めた。

多分お察しとも思うが、それ以外でも毒親なので随分前に縁を切った。

ただ、祖母とだけは今でも繋がっている。

80代も半ばを過ぎているのにスマホもバリバリ使う、カッコイイおばあちゃんだ。

3連休で祖母の家に遊びに行ったら、あの時の人生ゲームがビニールの梱包も解かないまま仕舞ってあったのを見つけて、祖母と一緒にはじめて遊んでみたので書いてみた。

本当に長くてごめんなさい。