思い出して、急に吐き出したくなった修羅場ですが、失礼します。

保育園、さらには小・中学校のとき、精神面で変な子(以下Aちゃん)のお世話係兼(Aちゃん曰く)親友をやらされてきた結果、殺されそうになった話。

Aちゃんは昔から変な子だった。

それこそ保育園くらいのときはワガママ、泣き喚き、少しでも自分の思った通りにことが動かないと癇癪を起こした。

保育園のときは、お遊戯会で踊りを披露するのに「嫌だ」と大絶叫、ステージの袖でワンワン喚いていた。

そして親友ポジションだった私は、Aちゃんを励ましながら一生懸命手を引いて踊っていた。

その当時のビデオを見た時はみんなの歌よりAちゃんのギャン泣きの声の方が大きいほどだった。

そもそも私がAちゃんの親友をやっていたのは、父とA父が子供のときからの親友だったからで、父には「Aちゃんと仲良くしてやってくれな」と言われてきたからだ。

子供の時はその正義感と使命感で一生懸命Aちゃんと仲良くしようとしたし、そんなワガママで癇癪持ちのAちゃんをいじめる、いじめっ子と喧嘩して怪我させたこともある。

とにかく、自分はAちゃんを守る正義のヒーローだと思っていて、Aちゃんもそんな私にいつもついて回っていた。


そんなAちゃんの異常性に気づいたのは、小学校高学年だか中学年くらいからだった。

それこそ、善悪の区別がつくようになってからはAちゃんに非があるんじゃないかって思うようになり、私も「私ちゃんだけは友達だよね?」と言われ、即答できなくなるほどにAちゃんの行動に同情ができなくなるようになった。

Aちゃんは何も成長をしない子で、障害があって勉強ができない子ではないのだけれど、人間性が成長せず、いつも授業中も昼休みでも泣き喚いていた。

テストの点が想像より悪い、先生に怒られた、思ったように絵が描けない、みんなが自分と仲良くしてくれない……思いつく限りでも、そんな内容でいつも泣いていた。

口癖は「先生なんて嫌い、みんな嫌い」で、そう捨て台詞を吐いては教室を飛び出していた。

そんなことを小学校6年間繰り返していれば、友達もできるわけなければ、先生も「放っておきなさい」と見放すようになっていった。

そして、自分を誰も心配して追いかけてこない現実が面白くなくて、辺りの教室に響くほど泣いていた。

家に帰ってから食卓で学校の出来事を話すときにAちゃんの話をすると、父は「俺の友達の子なんだから、おかしい子みたいに話すのはやめろ」と言うばかりで、引き続きAちゃんと仲良くするように教養するばかりだった。


中学になり、学校の先生はAちゃんに厳しくなった。

とにかく甘やかさず、Aちゃんが癇癪を起こそうものなら、理詰めでAちゃんの行動のどこがおかしいのか説明しながら怒った。

結局それでも、いつもの捨て台詞を吐きながら教室を飛び出し、フォローするのは副担任の先生というのが恒例になっていた。

その頃の私は、もうAちゃんに同情することなどなく、今思えば酷い目で彼女を見ていたと思う。

それでもAちゃんの中で私は神格化されており、「私ちゃんだけがAの味方だよね?」と泣きながら言われていた。

もうこの時は、Aちゃんがおそらく嫌いだったと思う。

Aちゃんと付き合っていれば他の友人と遊べないし、Aちゃんと話そうものなら、一緒にいた友人たちはそそくさと散っていく。

とにかくそんな状況が思春期の私には心底嫌だった。

Aちゃんに嫌悪感を抱きつつも、影でAちゃんコソコソと笑うクラスメイトも嫌いで、そんなAちゃんをからかう男子も嫌いだった。

(あんまり変な子すぎて、誰もがいじめず、距離をおいている…という距離感)

思春期と厨二病をこじらせていた私は、無駄な正義感で心底この状況が嫌いで、それこそAちゃんを含めクラス全体に腹が立っていた。

ある時、いつものように授業中に泣き始めた。

理由はAちゃんが教科書の読み間違えをしたのを先生が訂正したという、しょうもない内容で。

「私ちゃんだけしか優しくない!みんな嫌い!先生嫌い!」と泣き喚いて、カッターを取り出した。

いつも頭にきたときは、カッターで机を傷つけるので、ここでもみんなまたか……って思っていた。

そして(後ろの席の)私がついつい余計なことを言ってしまった。

「別に先生はAちゃんが嫌いでやってるんじゃくて、Aちゃんに正しい読み方を知ってほしいから教えてるのに、何が面白くないわけ?そいうことやってるから友達いないのに、なんで人のせいにするの?全部自業自得じゃん!」と、ずっとイライラしていた感情をそのままぶつけてしまった。

そうするとAちゃんは顔中真っ赤にして、私の方を振り返り、私を目掛けてカッター振り回した。

「私ちゃんも嫌い!!!みんな嫌い!死んじゃえ!!Aをいじめるやつはみんな地獄に落ちろ!」とたぶん言っていたと思うけれど、あんまり正確ではない。

とにかく私はAちゃんのカッターの当りどころが悪くて、右手の親指に付け根と左耳、そして頬を切った。

特に親指が深くて、机が血だらけになったのは覚えてる。この時、人生で一番自分の血を見たと思う。

結局この騒動があってから、私とAちゃんが会話することはなくなり、A親が謝りにきたときに「俺の娘がAちゃんに酷いことを言ったのが悪かったから気にしないでくれ」と言った父とも会話をしなくなった。


先週末に中学校の同窓会があったらしいが、私は成人式を含め、あの当時のクラスメイトには会っていない。

未だにみんながAちゃんを影で笑ったり、男子がからかっていたイメージがこびりついていて離れないので、そんな人間性の人たちに会いたいとも思わない。

同窓会に来ていたAちゃんを、男どもが未だにからかっている話をSNS伝手で聞いて行かなくてよかったと心底思う。

ただ、Aちゃんには悪いことをしたとは思う。

自分がもう少し大人ならあの一言は言わなかっただろうし、自分自身も未だに消えない傷を体に残すことはなかった。

今の所、このAちゃんとの出来事が人生最大の修羅場だと思う。

長文失礼しました。