叩かれ覚悟で懺悔。


両親は俺が8歳の時に離婚した。


親権養育権は母で、父とは中2くらいまで年1~2回会っていたと思う。


段々、会っても向こうが早く切り上げたがるようになって、なんとなくなし崩しで面会しなくなった。


たぶん父は面会より競馬に行きたかったんだろう。


離婚する前、俺は、両親と父方祖父母と、父方実家に住んでいた。


母屋と離れがあって、離れには父の兄=伯父が一人で住んでいた。


伯父は食事と風呂の時だけ母屋に来て、それが済んだら離れに帰る。


その家に住んでいる時は、変なルール?があって、


「両親+俺」しかいない時は普通にしていて良い。


「両親+俺+祖父」の時は、あまり母に甘えてはいけないが、まあ普通にしていて良い。


「両親+俺+祖母」の時は、祖母をママと呼び、母でなく祖母に甘えなくてはいけない。母を透明人間扱いしなくてはいけない。


「両親+俺+祖父母」の時は、祖母をおばあちゃんと呼ぶ。母が透明人間扱いなのは同じ。


「両親+俺+祖父母+伯父」の時は、みんなで母を馬鹿にしなくてはいけない。俺も参加しないといけない。


伯父がいない時は、父や祖父母が母を馬鹿にしても、俺は参加しなくて許されるんだが、伯父がいる時は俺も母を「ブス」「頭が悪い」とか「育ちがおかしい」と言わないといけなかった。


伯父は母の乳をみんなの前で揉んだりすることがあって、それはさすがに嫌な気分がした。


そのせいか俺は今でも性的なこと=汚いイメージが根底にある。


異常な環境だったが、この暮らししか知らなかったからこれが普通だと思っていた。


友達の家に行くのを禁じられていたし、幼稚園の時は、よそのお母さんはきれいだなくらいしか考えてなかった。



小1になって、親や教師の言うことを100%聞くのはカッコ悪いんだぜ的な価値観が生まれ出し、こっそり友達の家に行くようになって、自分の家はおかしいな?と思うようになった。


この頃から、祖父母や父の目を盗んで、家で母と話すようになった。内容は大したことじゃなく学校であったことの報告とか。


今思えば母はこの時点ですでに離婚準備をしていた。


小2の時、両親が離婚。


親権は争ったようだが、弁護士を挟んで、母が親権養育権ともに取った。


俺は父方実家を出て、小4まで母方実家にいて、その後は母と市営住宅→普通のアパート。


なんとなーくだが、小1の時「うちはおかしい」と思って、母と陰で話すようにならなかったら、母は離婚の時俺を置いていったんじゃないかと思う。


そう思うとヒヤリとするし、子供で何もわかってなかったとはいえ、祖父母や伯父と一緒に母を「ブス、バカ」と笑ってたのを申し訳なく思う。


就職して来年家を出るので、その前に母に、昔のことを謝罪するか迷う。


母は俺が覚えてないと思っているようなので。