小学校5年生の時に、いじめが原因で登校拒否になり都営の教育相談所(?)に通っていたが、通所していた中学生達が酷すぎて登校を再開した。

運動音痴と暗くてオタクっぽい性格が災いして、男子のほとんどと女子の半分からいじめられるようになり、学校に行けなくなった。

親と担任の話し合いの結果、都営の教育相談所で不登校の生徒を受け入れているので、とりあえず最寄の相談所に通所してくださいとのこと(その相談所に通所すれば登校扱いになった)。

相所には私以外に不登校の女子中学生が3人通っていた。

3人のうちAは1年生、B・Cは2年生。

Aは目のぱっちりした文学少女で、まともな印象だったがB・Cが酷かった。

二人とも嫌な目つきのアニメオタク(それは私もそうなんだけど)で、初対面から印象が悪かった。

通所初日に私の歓迎会を兼ねて通所生徒全員でお菓子を作った。

Aは私に声をかけて気遣ってくれたけどBとCは私を完全無視。

玉子を割ってボウルに入れたら「私が玉子を割りたかったのに!」とBにマジ切れされた。

受験1年後に控えているはずのBとCはいつみてもソファに寝転がって漫画を読むかPCでゲーム。

もしくは同人誌を回し読みしたりアニメのドラマCDを流してBとCだけで盛り上がっている。

教科書すら持ってきていなかった。

登校拒否の身分でオタクグッズはふんだんに所持していたところを見ると、二人とも親が甘かったんだろう。

Aは午前中に学校の課題を終えて午後は娯楽室にこもってずっと読書していた。

昼食時間は3人で自分が受けていたいじめ自慢と教師やクラスメートの悪口三昧。

私はもっぱら聞き役に徹していたが、AはともかくBとCの受けたいじめは本人にも問題があるんじゃね?と思っていた。

因みに3人ともびっくりするほど運動音痴だった。


通所して3か月程がたった頃、相談所の帰りに年上の幼馴染が声をかけてきた。

幼馴染はきつい性格で小学校時代はずいぶんいじめられたが、私が登校拒否中だったからかその日はいつになく優しかった。

「あんた、今学校の代わりに相談所に通ってるんだって?」

「はい」

「そっかー?どう、楽しい?」

「先輩はちょっと変わってますけど楽しいです」

「その先輩ってBとCって名前じゃない?」

「はい、お知り合いなんですか?」

「知り合いつーか同級生、あいつら評判悪いんだよね~、そいつらあんたに構わないでしょ?」

「はい、ずっと無視されてます」

「やっぱりね~、あいつらあんまりわがままで学校行事の時にも一つも協力しようとしないからクラスで浮きまくっていじめられたんだよね。年下の子が入っても絶対面倒見ないと思ったよ」

幼馴染のBとCへの評価はボロクソだった。

幼馴染だけでなくクラス全体からもひどく嫌われているらしく、BとCの登校拒否を「顔を見なくてすんで清々する」と喜んでいると・・・。

現実を見せつけられた。

恐らく私の登校拒否もクラスメートの誰も意に介していないだろう。

だったら登校拒否なんてするだけ損だ。

だらだら相談所に通っていてもBとCのようになるだけだ。

そう思い次週から登校を再開した。

役立たずの運動音痴のまま小学校を卒業してBとCのような扱いの中学生活を送るのは嫌だったので、真剣に中学までに克服すべきことを考えた。

私とB、Cの共通点は

・のろま
・運動音痴
・人に協力しない

だった。いじめの原因も恐らく上記の3点だろう。

運動音痴を克服するためにトレーニングを始めた。

放課後に毎日、校庭を5周走る。寝る前に腹筋と背筋。

のろまの克服法がわからなかったのでとりあえず家事の手伝いをした。

それまで皿拭きも満足に手伝ったことのない私が毎日何か手伝うと言い出したので母も面喰っていた。

最初は食事の後片付け程度しか任されなかったけど、徐々に広い範囲の掃除やじゃがいもの皮むきなどもできるようになり、カレーやトン汁なら一人で作れるようになった。

家事を手伝うようになってあら自然と段取りを考えてから行動できるようになり失敗が激減した。

球技や体操は駄目なままだったが陸上競技だけはじわじわ成績が上がっていき、小学校を卒業する頃には体育の成績がクラスでびりから下の上くらいに上がった。

その甲斐あり、中学で無事運動部に入部して3年間心身共に鍛えることができたし(それでも体育の成績は常に中の下だったけど)常に孤立しがちでもいじめには遭わなかった。


今は清掃会社の社員として安アパートで何とか自活しています。

BとCの醜態を見て自分を客観視できたことが相談所の一番の収穫だった。

登校拒否になって結果オーライだった。

運動音痴で協調性0のまま中学に進学していたらのらくら中学高校を過ごし、今頃親のすねをかじりながらニートかフリーターだっただろうから。

BとCはどうでもいいがAの現状だけが今でも気がかり。

最後の通所日に住所でも教えてもらっていれば手紙のやり取りぐらいはできていたのに。